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大阪高等裁判所 昭和37年(う)435号 判決 1964年5月30日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は検察官志賀親雄の提出にかかる検察官門司恵行名義の控訴意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人東中光雄同石川元也同鬼追明夫連名の答弁書記載のとおりであるからここに引用し、これらに対し当裁判所は次のとおり判断する。

論旨第一点(事実認定の誤りについて)

検察官の所論は要するに原判決が、(一)北浜三丁目交叉点西側で居谷巡査がとらえられたという事実(二)被告人戸田が木村喫茶店前で居谷巡査の背を押して顛倒させたという事実は、いずれもこれを認めることができず(三)北浜三丁目より組合事務所に至るまでの間、被告人ら組合員が居谷巡査を同行した点は、何ら逮捕といえない状況にあつたと判示しているのは事実の認定を誤つたものであり(一)居谷、坂口、藤田の各証言を綜合すれば、居谷巡査は北浜三丁目の西方北側歩道上二ケ所において、被告人らの所属するデモ隊員につかまつたが、坂口らに押しのけて貰つたり或いは自分でデモ隊員をふり切つたりして西方淀屋橋の方へ逃げたところ、そこへ後から藤田が追いかけて来たので同人に一旦カメラを渡したが、再びこれを受けとつて南側に車道を横断したことが認められ、(二)居谷、新家の各証言を綜合すれば、木地喫茶店前の歩道上で、後から組合員中の何者かに突かれて居谷が顛倒したことを認めることができ、突いたものは被告人戸田であると推認され、(三)居谷、稲場、坂口、新家、三木、横井、藤田の各証言を綜合すれば、北浜三丁目の太平電設工事現場附近で組合員側と新家巡査部長との間で、組合事務所へ行つて話し合いをするという一応の了解ができたことは認められるが、その後も、それ程まで激しくなかつたにせよ依然として居谷巡査の腕をとらえ、取り囲むような恰好で組合事務所まで連行した事実が認められ、これは明らかに逮捕行為に当るというのである。これに対する弁護人の答弁は以上の三点についての原判決の認定は、いずれも正当であるというのである。

よつて記録を精査して案ずるに、検察官は先ず原判決の前示三点の事実認定の誤りを主張する前提として、原判決が、本件公訴事実立証のため検察官の申請した証人が、すべて警察官でしかも被逮捕者居谷巡査の上司や同僚であり、これら証人の尋問過程よりみると事実を組合側に不利に解釈して証言する傾向が認められ、ことに検察官側の主たる証人である居谷巡査の証言にこの傾向があり、また観察に不正確なものがみられると判示している点を攻撃し、右の説示は誤りであり、警察官の証言はいずれも信用できると主張するのでこの点について判断する。

検察官の所謂に鑑み、これら警察官の証言内容をし細に検討し、弁護人側申請の各証人の証言内容とを対比して考察すると、各警察官の証言内容は、居谷巡査の身体にどの程度の力が加えられたかという重要な部分において必ずしも一致せず、その内容に事実を誇張して証言しているのではないかという疑がありその観察も必ずしも正確でないとの心証を否めないのである。本件は現職の警察官が被害者とされており通行人の多い公道上で行なわれた行為であるにかかわらず、中立の立場にある第三者の証言が全くないという特殊の事案である。居谷巡査の証言中組合に不利な判断をする傾向があるとして原判決が挙げた三つの理由は、必ずしも首肯できないこと検察官所謂のとおりであるが、さればといつて同証人の証言をそのまま全面的に信用できるものとは思わない。警察官であるからといつてその観察が常に正確であり、その証言は常に真実に合致しているとはいえないのであるから、本件の特殊性に鑑み、その信用性の判断には慎重な態度で臨まなければならない。原審の警察官の証言に対する基本的態度が必ずしも誤りであるとは思われない。

次に検察官が事実認定に誤りがあると主張する三点について考察を進めると、(一)居谷証人は原審公判廷において北浜三丁目交叉点西側で最初一〇メートル位逃げたところで二〇名位の人に包囲されて手を持たれたことがあり、さらに約一〇メートル位先で大体同人数位の者に取り囲まれたがいずれも自分の護衛としてついていた坂口、稲場両巡査が押しのけてくれたので脱出した旨の証言をしていること検察官所論のとおりである。しかし弁護人の指摘するように、居谷巡査の護衛の任務を担当していた坂口、稲場両巡査、班長として居谷と行動を共にしていた藤田らは、居谷が写真を撮影して淀谷橋の方向に向い北側歩道上を走つて逃げたその直ぐ後に続いて走つているにかかわらず、居谷の証言に一部添う証言をしているのは坂口のみで、藤田、稲場は居谷が組合員らに取り囲まれた状況を全く見ていないこと、ことに居谷は稲場が組合員を押しのけてくれたというが、稲場は居谷が取り囲まれた状況すら見ていない事実に徴すると原審が居谷巡査の証言をそのまま信用できないと判断しているのは相当であり、検察官の所論を考慮に入れて考えてみても原判決が北浜三丁目西方の北側歩道上で居谷を取り囲み両袖を掴んだりした事実は認めることができないとした点に事実の認定を誤つたという疑はない。

(二) 木村屋喫茶店前の状況について居谷巡査は原審公判廷において後から誰かに突かれて確か膝をついたように思う。起き上つたとき被告人戸田が前の方にいたと証言しているが、弁護人の指摘するように膝をついた直前に振り返つてみたが後に誰もいないようで追いかけられているように思わなかつたとも証言し、突き飛ばされたために膝をついたのか、つまずいたたにそうなつたのか必ずしも明確な証言ではなく、検察官の挙げる新家証人の証言を綜合しても、居谷が被告人戸田或いは他の組合員に突き飛ばされて顛倒したと認定することは困難である。原判決のこの点に関する認定にも誤りはない。

(三) 北浜三丁目から組合事務所までの状況について検察官の挙げる居谷、稲場らの証言内容をみるとその証言の一部に検察官の所論に添う部分の存することが認められる。しかしながら、し細に各証人の証言内容を比較検討すると居谷は北浜三丁目から組合事務所までの間は後ろから押していなかつたように思うと証言しているにかかわらず、稲場は同三丁目からはそれ程でもなかつたが、やはり引つぱつたり押したりしていたと証言し、坂口は同三丁目から二丁目の中間位のところで居谷が逃げも隠れもしないから、とにかく離してくれというので被告人戸田が居谷の腕をにぎつていたのを離した旨の証言をしているのにかかわらず、居谷は組合事務所の階段を降りる時以外はずつと両腕をかかえられていたように証言しているのである。ところで北浜三丁目において新家巡査部長と被告人岡野との間に組合事務所へ行つて話し合いをすることに相談がまとまり、居谷もこれを歓迎しないまでも一応承知し、これを拒否する言葉を述べていないことは検察官も認めて争わないところであるから、被告人ら組合員が居谷の身体に拘束を加えてまでもこれを連行する必要がなかなかつたという事情を考慮し、被告人の供述及び嶋吉一郎、滝正行証人らの証言を参酌すると前記警察官の証言中居谷の身体に直接拘束が加えられていた旨の証言部分はたやすく措信することができないのである。原判決が居谷巡査の身体に直接拘束を加えた事実は認められないとし、同巡査の護衛を任務としていた新家、稲場、坂口の三人の警察官が同行していたこと、北浜二丁目には約六、七〇名の制服警察官が配置されていた右の事実を知つていたにかかわらず何らの措置を執つていないこと、組合事務所も警察官の出入が比較的自由に行なわれていたこと等の事情を併せ考えて何ら逮捕といえない状況にあつたと判断したのは相当であり、検察官の所論を考慮して記録を検討してもこの点に事実認定の誤りがあるとは思われない。

次に検察官は原判決が被告人新堂は少なくとも居谷に故意に殴打されたと認定したのは事実であると主張し、弁護人は原判決の判断は正当であると答弁するのでこの点に関する当裁判所の判断を示すこととする。

検察官、弁護人双方の所論を考慮に入れて記録を精査するに、この点に関する原判決の判示は相当であり、検察官所論のような誤りのないことが明白である。原判決は被告人新堂の殴打された場所を北浜三丁目より西方二〇米の地点と判示しており、被告人新堂の供述によると北側歩道上であると認めることができるが、居谷の証言によれば、その当時カメラを二台持つていて一台はシヨルダーバックに入れて肩にさげ、一台は手に持つていたというのであるから被告人新堂を殴打するため手を使用することは自由であつたと認められるのである。しかるに検察官は同被告人の殴打された場所を木村屋喫茶店前であるものの如く誤解し、藤田の証言等を引用して同被告人を殴打することは不可能な状態であつたと主張する。その所論の誤りであることは明白である。

なお検察官はかりに居谷が同被告人を殴打したことがあつたとしても、それは瞬間的なしかも一回限りの反射的行為に過ぎないと認めるのが正当であるというのであるが、もとより原判決は居谷巡査が故意に同被告人を殴打したと認定しているのではなく、同被告人が故意に殴打されたと信じていた点を重視したのである。

以上の考察によれば検察官の事実誤認の論旨はいずれも理由がない。

論旨第二点(被告人らの行為の違法性に関する判断の誤りについて)

検察官の所論は要するに、原判決は被告人らの行為は刑法二二〇条一項の不法逮捕罪の構成要件に該当するとした上、居谷巡査が組合員らを写真撮影したことは違法であるとし、これを前提として被告人らの所為は実質的違法性を欠き正当な行為であるから刑法三五条により犯罪の成立を阻却され罪とならないと判示しているのであるが、居谷巡査の写真撮影行為は適法であり、被告人らの所為は実質的にも違法性を欠くものではないから原判決の判断は誤りであるというのであり、これに対する弁護人の答弁は原判決は正当であるというのである。

よつてまず居谷巡査の写真撮影行為が原判決のいうごとく違法な行為と認められるかどうかの点について考察する。

ところで原判決は写真撮影をした居谷巡査と撮影された組合員らの距離が二メートルの近距離であつたこと、現場写真撮影についての復命書添付の写真第三に組合員らの姿態が大写しにされていることを挙げて、本件居谷巡査の写真撮影行為は「デモの違反状況」を撮影するためではなく、組合員らの「容貌」の撮影を目的としたものであると認定している。しかしながら検察官の所論を考慮に入れて証拠を検討するに、居谷巡査の証言によれば組合員らが昭和二三年大阪市条例七七号、五条、四条三項に違反してジグザグ行進をしているのを現認し、その犯罪容疑の証拠を保全するため、デモ行進の違反状況を明らかにするとともに容疑者の確認を目的として写真撮影をしたことを認め得るばかりでなく、原判決の挙げる前記復命書添付の写真をみると容貌のみが大写しになつているのは第三の写真だけで、他の二葉の写真にはジグザグ行進の状況が写し出されており、原判決のいうように居谷巡査が被告人ら組合員の容貌のみを撮影することを目的としていたとは到底認めることができないのである。従つて原判決のこの点に関する判断は誤りであるといわなければならない。

次に原判決はデモ参加はかかる容貌を目的として撮影することまでも認容しているとはいえず、顔写真の撮影は一見任意捜査であるかのように思われるが、社会通念上無形の強制力を馳駆して個人の平穏な生活を侵害し、憲法上保障された諸権利や個人の尊厳を害する行為であり、又刑事訴訟法二一八条、一九七条一項の解釈からみても被疑者の承諾なくしてその写真を撮影することは犯罪の種類、性質、捜査方法よりして真に止むを得ないような特別な事情の存する場合を除き違法といわなければならないとし、本件居谷巡査の写真撮影は結局違法であると判示しているので、この点の原判決の当否について判断する。

人はその承諾がないのに自己の写真を撮影されたり世間に公表されない権利(肖像権)を持つとすれば、それはプライバシーの権利の一つとして構成することができる。プライバシーの権利とは私人が私生活に他から干渉されず、本質的に私的な出来事についてその承諾なしに公表されることから保護される権利であるといわれている。一私人が一私人の肖像権を侵害した場合に民法七〇九条にいう権利の侵害として救済すべきであるという考え方は、我国においてまだ一般に承認されていないもののようである。しかし国家権力ことに警察権の行使との関係において考察するときは憲法一三条が個人の生命自由および幸福追求に対する国民の権利は最大限に尊重される旨を規定していることや憲法に国民の基本的人権を保障した各規定が設けられていること、警察法二条一項が警察の活動は……いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならないと規定していることから国家権力ことに警察権の行使に対しては人権の保障による制約のあることを認めることができ、国民の私生活の自由が国家権力に対して保障されていることを知ることができる。ここからプライバシーの権利を導き出すことができるであろうが、もとより無制限なものはでない。公共の福祉のために必要であると認められるときに相当な制限を受けることは、憲法一三条の規定に照らしても明らかである。

ところで国家権力に対する関係でプライバシーの権利を認めうるとしても、これを放棄していると認められるような場合にはプライバシーの侵害という問題は初めから生じない。本件は安保条約粉砕、国会解散要求、岸内閣打倒等の政治上の主張を掲げたデモ行進に参加していた者を撮影した事案である。大衆示威行進の参加者はその主張を公衆に訴えることを目的とし、公衆の観覧できる場所を選んで行なうものであるから検察官所論のように参加者は肖像権を放棄しているもののようにも解せられるのであるが、よく考えてみると大衆示威運動は大衆としての意思表現行為であり、憲法二一条は参加者が何人であるかを明らかにしないで、集団としての意思を表現する自由をも保障したものと考えられるから、参加者は集団としての意思の表現するという限度において肖像権を放棄したものと解するのが相当である。顔写真を撮られることが参加者にとつて明らかに不利益な場合まで、参加者がデモに参加した故に肖像権を一切放棄しているとみるのは参加者の意思を余りにも無視したものといわなければならない。原判決が集団示威運動に参加する者は、容貌を目的として撮影されることまで一般に認容しているとはいえないと判示しているのはその限度において正当である。

さて肖像権を放棄していないと認められるような場合は写真撮影は一切許されないかといえば、そうではなく、公共の福祉のため、犯罪捜査の必要上写真撮影の許容される場合のあることを認めなければならない。犯罪捜査のための被疑者の写真撮影について刑事訴訟法の規定をみると、同法二一八条二項に身体の拘束を受けている被疑者の写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り同条一項の令状によることを要しないと定めた規定があるに止まり、任意捜査の方法としての写真撮影については特別の規定がない。原判決は同条二項の規定の反対解釈として被疑者の写真撮影は令状を要するとし、被疑者の写真撮影は同法一九七条一項但書にいう強制の処分に含まれるから、被疑者の承諾なくして写真撮影することは原則として許されないと判示する。しかしながら検察官所論の如く同法二一八条一項は強制処分に関する規定で身体検査について令状を要するとの原則を明らかにし、同条二項はこれを受けて身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影をする場合には、あらためて令状を要しない旨を注意的に規定したに止まり、この条文から強制の方法によらない場合に令状を要するとの結論を導き出すことは困難である。また同法一九七条但書にいう強制の処分とは、物理的な実力を行使する処分や人に義務を負わせる処分をいうのであつて、物理的に強制して撮影する場合は格別普通一般の写真撮影行為は強制の処分に含まれるものではない。従つて強制力を伴わない写真撮影行為は従来の分類に従えば任意捜査の手段であるということになり、原判決のこの点に関する法解釈は誤りであるといわなければならない。さて任意捜査の方法は相手方の承諾を得て行なうのが原則である。しかるに写真撮影は相手方に気ずかれずに或いは相手方の意に反して行なうことができるのである。国民の側にプライバシーの権利が憲法によつて保障されているとすれば、任意の手段だからといつて写真撮影が無制限に許さるべきものではあるまい。ここに捜査の必要と人権尊重の要請の調和点を何処に求めるかという困難な問題を生ずるが、少なくとも現に犯罪が行なわれており、写真撮影による証拠保全の必要があると認められるときは、現行犯であれば原則として令状がなくとも逮捕することができ、しかも逮捕の現場において令状がなくとも押収、捜索、検証等の強制処分が許されていることに鑑みて、被疑者の意思に反しても写真撮影が許されることに疑はないといわなければならない。

ひるがえつて、本件をみるに居谷巡査は北浜三丁目交叉点において被告人らの所属する組合員らが棒を横にしてスクラムを組みジグザグ行進をしているのを現認し、前記大阪市条例違反の現行犯として、証拠保全のため写真撮影を行なつたものであることは前説示のとおりである。はたしてしからば、被告人ら組合員の意思に反した写真撮影であるとしても居谷巡査の写真撮影行為は捜査の必要上許容された適法な行為といわなければならない。

しかるに原判決は被告人ら組合員は公安委員会が附したデモの許可条件を知つていたという証拠がないから被告人ら組合員の行つたジグザグデモは犯罪を構成しないと判示する。原判決が犯意が認められないから犯罪とならないと判示した点は正当であるけれども、犯意があるかないかは捜査をしてみた上でなければ判らない事柄であり、犯意が明らかにならなければ写真撮影による証拠保全ができないというのは不当であるから、純客観的事後的に観察して犯罪を構成しないということは居谷巡査の写真撮影行為を不適法ならしめるものではない。

以上の考察によつて原判決が居谷巡査の写真撮影行為を不適法であると判断したのは誤りであることが明らかとなつた。そこで原判決が被告人らの行為は実質的に違法性を欠き犯罪の成立を阻却されると判示している点について考察する。

この点に関する原判決の判示をみると、国家権力を行使する警察官により違法に写真を撮影され殴打されて国民の権利が著しく害された場合云々と説示し、本件行為の実質的違法性を判断するに当り、居谷巡査の職務行為の不適法であることを重要視していることが明らかである。この限りにおいて原判決はその前提において重大な誤りをおかしているといわなければならない。

しかしながら、本件行為の実質的違法性の判断に入る前に被告人ら組合員が木村屋喫茶店前から北浜三丁目まで一三〇米の間居谷巡査を連行した行為が不法逮捕罪にいう逮捕行為といえるかどうかの点につきさらに慎重な検討を要するものである。原判決が証拠によつて認定した二項の木村屋喫茶店前から北浜三丁目までの居谷巡査の連行の模様、四項の事件発生の事情の部分は記録を精査するといずれも、概ねこれを肯認することができるので、これら原審の認定した事実を基礎として当裁判所の判断を示すこととする。

先ず居谷巡査の写真撮影の状況をみると、被告人ら組合員の行進に約二、三米の至近距離まで近づき閃光電球を用いて同組合員らを写真撮影したのである。撮影当時は夜間であり、夜間撮影する場合は今日においても閃光電球が用いられることが多いことを考えると、その撮影方法が違法であつたとまではいえないにしても適切な方法であつたとは認め難く撮影された組合員らがおどろきかついきどおつたとしても無理からぬものがあつたといわなければならない。居谷巡査は当時私服であつたが、被告人ら組合員が、居谷巡査に対し身分、氏名、撮影の目的等を問いただす目的で同人に近ずいたところ、同巡査は急に身をひるがえして北浜四丁目に向つて逃げ出したので、被告人ら組合員はこれを追つたのであるが、北浜三丁目より約二〇メートルの所で被告人新堂が居谷巡査に殴打されるという事件が発生したのである。居谷巡査の側からみれば写真撮影行為が適法な職務行為であるとしても、撮影された被告人ら組合員は被告人らの供述によると犯罪行為を行なつていないと信じているものと認められるから、何の為に写真を撮られたか不審に思い、これを問いただそうとしても不思議ではない。しかも一言の釈明もせず逃げ出して、追いついた被告人新堂を故意でないとしても殴打しているのであるから、益々不審の念を抱いたとしても当然である。居谷巡査は木村屋喫茶店前で同組合員らに追いつかれ、同組合員らに取り囲まれてなんで写真をとつたかと尋ねられ被告新堂からは何でなぐつたのか、お前は誰かと聞かれたが、これに答えようとはせず、そこへ藤田らの警察官がかけつけたが、これまた被告人らの質問に答えなかつたので同組合員らは、写真を撮影した現場に行つて話しを聞こうということで同所より北浜三丁目まで居谷巡査を連れて行つたものである。被告人ら組合員は木村屋喫茶店の隣りの大阪金属株式会社のガレージ附近において、居谷が巡査であることを薄々知つていたのではないかと思われる。藤田巡査が同所で俺は警察の者だと告げていること、連行の途中ポリ公つかまえたといつていた者がいることなどよりして右のように認定することができる。勿論警察官であつても、その行為に不審な点があれば、これを問いただすという行為に出ても不当であるといえないことはいうまでもない。被告人らは写真撮影の目的について不審を抱き、被告人新堂は何故殴打されたかについて疑問をもつていたものであるからこれらの事項について居谷巡査に質問したとしても不当ではない。検察官は単なるいいがかり、もしくは自分らの違反行為に対する証拠保全を妨害するためになされたものであることが容易に推測されるというが採用し難い。しかるに居谷巡査はこれに対して一言の釈明をしなかつたのである。本件写真撮影が、本人の意思に反しても出来る場合であたとしても、任意捜査は相手方の承諾を得て行なうのが原則であることを考えると、写真撮影されたものが、その理由を知りたいとして、その釈明を求めている合場には、原判示のように警察官がその釈明に応ずべき法律上の義務があるとまではいえないとしても、堂々とその理由を説明して納得させるのが、警察官としての執るべき態度であつたといわなければならない。居谷巡査が組合事務所に至るまで一言も釈明をしなかつたというのは警察官としての公正を疑わしめるものであり、これが組合員を益々刺戟し、組合員が居谷を連行する原因を作つたとみられても致し方のないところである。

ところで、このような事情のもとで行なわれた居谷巡査の連行の際居谷巡査の身体の自由はどの程度に拘束されていたかを検討する必要がある。検察官はこの際激しい暴力が振るわれたように主張するのであるが、被告人ら組合員が木村屋喫茶店前で居谷巡査に追いつき同人を取り囲んだとき同人を突き飛ばして倒した事実のないこと前説示のとおりであり、写真機に手をかけて奪おうとしたり、居谷巡査を殴打したりした事実のないことは原判示認定のとおりである。居谷巡査は連行されることを拒否する意思を口頭或いは行動(その場に坐り込む等)で明確に示しておらず、連行といつても自ら歩いて行つたもので引きずられて行つたものではない。しかも居谷巡査の警護を目的として新家、藤田、稲場、坂口、河口と五人もの警察官が、居谷巡査の近くいて同人を警護していたのである。そして新家の証言によると同人ら警察官はできる限りことを穏便に解決しようという気持であり、組合員らになるべく逆らわずその要求にある程度追随するという態度であつたことが窺われる。従つて被告人ら組合員において居谷巡査が歓迎しないまでも、同行に応じてくれるものと信じていたとしても不思議ではない。組合員の中から大会場(検察官の主張によればデモの解散地点を指す)に連れて行けという声があつたことはこれを認め得るけれども、北浜三丁目の交叉点を北に向つて渡りかけた居谷巡査を取り囲む一団は、大した力を加えられたという事実もないのに直ぐ南側に押し戻されている状況よりみると、組合員が力で無理矢理に解散地点まで居谷巡査を連行する意思のなかつたことは明白であり、原判決認定のとおり、被告人らの居谷巡査連行の目的は写真撮影や殴打に対し、その目的理由を問いただし、居谷巡査の氏名、身分を明らかにすることにありそれを超えるものではなかつたものである。

検察官申請の証人らは、組合員が居谷巡査を押したり、ひつぱつたり等してかなり強い程度の実力を同巡査に加えていたものの如く証言するが、被告人らの供述や弁護人申請の証人嶋吉一郎、同滝正行らの各証言と対比して検討すると、警察官の証言をそのまま真実として信用することはできない。以上の事情を考慮すると原判決認定の如く両腕を掴み、周囲を取りかこんだ事実があつたとしてもそれは居谷巡査に同行を多少強く促した程度のものであつて強い拘束力を加えたものとは認められない。そもそも不法逮捕罪が成立するためには人の身体に対する事実的支配を設定し、人の自由を拘束することを要するのであるが、本件程度の行為では不法逮捕罪に該当する程度の自由の拘束はなかつたものと認めるのが相当である。かりに腕を掴み、居谷巡査の周囲を取り囲んだことが居谷巡査の自由を幾分拘束したとしても、連行した距離は約一三〇メートルでその時間も短いことを考慮すると可罰的違法性を欠く程度の軽微なもので逮捕行為としての定型性を具えていないと認められるばかりでなく、前記の諸事情を考慮すると被告人ら組合員に居谷巡査を逮捕する犯意もなかつたものといわなければならない。被告らの本件所為を無罪であるとした原判決はその結論において正当である。原判決が本件行為を不法逮捕の構成要件に該当する疑があるとしながら、その構成要件該当性を深く検討せず、実質的違法性が欠けるものとして無罪とした点、実質的違法性判断の前提として居谷巡査の写真撮影行為を違法であるとした点等に誤りがあるとしても、もとより判決に影響を及ぼもものではない。

従つて検察官のその他の論点ついて判断を待つまでもなく刑事訴訟法三九六条を適用して本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。(裁判長判事児島謙二 判事畠山成伸 判事松浦秀寿)

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